ヒロマ亭のお弁当にかかわる皆が幸せになれる
『お弁当屋のカタチ』を探し続けたい。
ヒロマ亭の歴史は、父方の曾祖母が、終戦直後に十三の駅前の一頭地を手に入れたのが始まりです。
そこで食堂を開業し、その後に父が引き継いで売店を始め、私が35才の時に三代目になりました。
駅前の売店を運営していましたが、2014年に不審火で燃えてしまい、今の場所で商売を始めて今に至ります。
私は小学生の時から店を手伝っていました。
先代の父に「ステーキ食べさせてやるから手伝ってくれ」とエサに釣られてね(笑)。
終電の来る時間でしたから、深夜1時ぐらいまで。
きつかったですが、家が困っていたので手伝うのは当然だと思っていました。
でも中学生くらいになると、やっぱり嫌になるんですよね。
遊びたいのに…とか、友達に見られたくないとか。
だから息子も似たような思いだと分かっていましたし、大きくなるにつれて「こいつ、絶対店せぇへんな」とほぼあきらめてました。
だから息子に「一緒に店やろう」とは一度も言わなかったですしね。
それでもいつか、息子と仕事ができればという想いもあり、私の名前の”ひろゆき”と、
息子の”たくま”からとって、『ヒロマ亭』に改名したんです。
だから息子が店を手伝うと言い出した時は実はめちゃくちゃ嬉しかったんですよ。
でも、あからさまに喜ぶのもしゃくだから、ほとんど態度には出しませんでしたけど(笑)。
僕がお弁当屋を始めた時のコンセプトは、「良い材料をつかって、自分たちで良いものをつくる」でした。
材料もお金をかければ良いものができるし、美味しいってお客さんも喜んでくれるし、売り上げにもつながる。
そう思って夫婦二人三脚でやってきました。
でもうまくいかないことも多く、苦労の連続でしたね。
店は嫁のおかげでまわってますし、ほんま感謝してます。
でも夫婦でお互い遠慮がないから、しょっちゅうケンカになるんですよね。
私もプライドがあるから仕事中は謝らないですけど、家に戻るとすぐ「悪かったです、ごめんなさい」って言います。
だってご飯作らへんとか言うんですよ?無視とかされたら、もういてられへんのですわ…だから、いつもケンカは負けちゃうんです(笑)。
息子と仕事をするようになって、お弁当の量や金額、運営について色々指摘され、何度も衝突しました。
今まで自分たちが築いてきた価値観をくつがえされたり、「これが適正やねん」と言われても、受け入れ難い気持ちがあって。
でも、実際売れ行きは良くなってきたんですよね。
これまでは職人さん達が年金をもらえるまで店を続けて、後は縮小していこう、くらいの計画しかなかったんです。
でも今は、他の可能性も見えてきました。
息子が提案してくれる形に切り替えていけば、新しいヒロマ亭のカタチが見えそうな気がしています。
30代の頃に「もっとこんな事しよう、あれもやってみよう」って目標をもって仕事をしていた時の気持ちが蘇ってきたんですよ。
息子のおかげで、仕事が楽しくなるなんてね。
これからも試行錯誤は続くと思いますが、職人さんと家族で支え合い、お客さんが喜んでくれる形で、ヒロマ亭を続けられたら最高だと思っています。